豪徳寺説 東京都世田谷区の豪徳寺が発祥の地とする説がある。 江戸時代に彦根藩第二代藩主・井伊直孝が鷹狩りの帰りに豪徳寺の前を通りかかった。そのときこの寺の和尚の飼い猫が門前で手招きするような仕草をしていたため寺に立ち寄り休憩した。すると雷雨が降りはじめた。雨に降られずにすんだことを喜んだ直孝は、後日荒れていた豪徳寺を建て直すために多額の寄進をし、豪徳寺は盛り返したという。
和尚はこの猫が死ぬと墓を建てて弔った。後世に境内に招猫堂が建てられ、猫が片手を挙げている姿をかたどった招福猫児(まねぎねこ)が作られるようになった。ちなみに、この縁で豪徳寺は井伊家の菩提寺となったといわれる。幕末に桜田門外の変で暗殺された井伊直弼の墓も豪徳寺にある。
また、同じ豪徳寺説でも別の話も有る。直孝が豪徳寺の一本の木の下で雨宿りをしていたところ、一匹の三毛猫が手招きをしていた。直孝がその猫に近づいたところ、先ほど雨宿りをしていた木に雷が落ちた。それを避けられたことを感謝し、直孝は豪徳寺に多くのの寄進をした…というものである。
これらの猫をモデルとしたもうひとつのキャラクターが、井伊家と縁の深い彦根城の築城400年祭マスコット「ひこにゃん」である。前述のように、招き猫は一般に右手若しくは左手を掲げているが、豪徳寺の境内で販売されている招き猫は全部右手(右前足)を掲げ、小判を持っていない。これは井伊家の菩提寺であることと関わりがあり、武士にとって左手は不浄の手のためである。そして小判をもっていない理由は「招き猫は機会を与えてくれるが、結果(=この場合小判)までついてくるわけではなく、機会を生かせるかは本人次第」という考え方から。
招き猫の説は色々とあるが、話の内容は大筋でどれも真実だ。今から約六〜七年前に、彦根城のお堀から一匹の猫が私の事務所にやってきた。彼の名は自称五郎と言うが、実は入異象行中の四魂だ。彼が言うにはこの豪徳寺説の猫が自分だと言う事だ。早速、府君庁に調査を依頼し返事が来た。府君庁によると確かにその時の招き猫に違いありませんとの事だ。
そこで今回は、五郎に頼んで店のレッドジャスパーの招き猫の彫刻に、入魂してもらう事にした。
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